今日読み終えた本

終末のフール

終末のフール

このところ海外の翻訳ミステリーを中心に読んでいたので、日本人作家の本に触れると懐かしく感じる。そのうえに私の好きな作家、伊坂幸太郎の最新作となれば、なおさら期待がふくらむ。
どこか人を喰ったような、浮遊感のあるエキセントリックな伊坂幸太郎の世界。そんな伊坂テイストを残しながらも、前々作『魔王』(当日記10月24日付「読書記録」に記す)と前作『砂漠』(当日記12月17日付「読書記録」に記す)では、ミステリーとは離れた小説が続いた。本書もミステリーではなく、SFちっくな極限状態におかれた人間群像を描いた、私の期待を裏切らない作品だった。
2***年。「8年後に小惑星が落ちてきて地球が滅亡する」と発表されてから5年が経った。
恐怖心が巻き起こす、暴動、殺人、放火、強盗、デマ、そしてパニック的な逃避行動・・・。社会に秩序がなくなり、世界中は大混乱に陥っていたが、ここへきて“5年ぶりに祭りが終わったかのように町に落ち着きが戻り”(「鋼鉄のウール」)、世間は危うい均衡が保たれていた。
舞台は伊坂小説のフランチャイズ、仙台。本書は、その北部の丘を造成して作られた団地「ヒルズタウン」に建つ、築20年のとあるマンションの、“世界の終わり”騒動の後も、今なお生き残って住んでいる人たちが、入れ替わるように一人称で語る8話の
連作短編集である。
彼らはいずれも今回のパニックか、あるいはもっと以前に何らかの理由で家族を亡くしている。心の中にあるのは絶望のはずである。冒頭から主人公の自殺未遂で始まる物語もあるくらいだ(「天体のヨール」)。またこれを機会に悩む人もいる。自分の言動が原因で息子が自殺したと思い込む父親(「終末のフール」)、長らく子宝に恵まれなかった夫婦に子供ができ、3年の命と知りながら産むべきか悩む夫(「太陽のシール」)、
妹を死に追いやった男を殺しに行く兄弟(「籠城のビール」)などである。
しかし、本書のすごいところは、ただ単に人々の絶望やパニックを描いているのでは
なく、その向こうに「生きる道のある限り、あと3年の命を精一杯生きよう」という前向きの姿勢を導き出しているところだ。“世界の終わり”となっても黙々と練習を続ける
キックボクサー(「鋼鉄のウール」)、落ちてくる小惑星を望遠鏡で間近に見られると
興奮する天体オタク(「天体のヨール」)、来るべき大洪水に備えて櫓を作る老大工
(「深海のポール」)をはじめ、8つの物語はいずれも主人公の前向きな「生きる決意」で終わっている。「じたばたして、足掻いて、もがいて。生き残るのってそういうのだよ、きっとさ」(「深海のポール」)。
本書は、極限状態に置かれても、なお生き抜こうとする人間の強さを、穏やかな筆致で静かに訴えた傑作である。