今日読み終えた本

相剋の森

相剋の森

本書は、’04年上半期「第131回直木賞」を受賞した『邂逅の森』とほぼ併行して書かれ、3ヶ月ほど先行して発表された姉妹編である。
『邂逅の森』が、大正年間を中心とした東北の旅マタギ(クマ猟師)の青年、松橋富治の波乱の半生を描いた作品だったのに対して、本書は現代の東北地方における、彼の曾孫に当たる世代のマタギたちと自然との葛藤を描いている。
仙台のタウン誌の編集長をつとめる佐藤美佐子は秋田県で開催された「マタギの集い」に取材で参加して、「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」と、素朴な疑問を率直に発言して参加者たちから冷たい視線を浴びる。そして閉会後、彼女はあるフリーの動物カメラマンから「山は半分殺(の)してちょうどいい」と告げられる。それは何を意味しているのだろう・・・。やがて恋人と破局してタウン誌を辞め、フリーのライターとなった美佐子は、この言葉を理解しようと本格的な取材を始める。
人里におりてきたクマを捕獲し、発信機を取り付け再び山へ戻す活動をしているNPO法人、一方でそうして捕獲したクマを「有害駆除」の名目で射殺せざるを得ない役場の立場、「有害駆除」の許可が下りなければクマ狩りができないマタギたち、動物愛護・自然保護団体からの抗議。取材を重ね、答えを模索する美佐子は、やがて新潟県の山奥の集落でマタギの頭領をつとめる滝沢を訪ねる。
現代のマタギたちの生活を肌で取材するうち、美佐子の内に、彼らに対する親近感がわいてくる。クライマックスは彼女が実際に春のクマ狩り「巻き狩り」に同行し、マタギたちと共に猟場である過酷な自然の森の中に身を置く場面である。ひとり道に迷い、
山中に取り残された美佐子が見たものは・・・。
タイトルの『相剋』とは、「両者が互いに勝とうとして相争うこと」(広辞苑)であるが、

本書は、美佐子の目を通して、現代に生きるマタギたちの姿を描き、今、東北の森で実際に起こっていることを活写することにより、「自然との共生」などとは簡単に言い切ることのできない人間とクマ・森・自然との関わりを問いかけている。