読書記録75

“ボストンの鬼才”デニス・レヘインによる、<探偵パトリック&アンジー>シリーズの
’10年上梓の第6弾。前作『雨に祈りを』(’99年、訳出は’02年)発表後、レヘインが
「ふたりをしばらく休ませてあげたい」と言って封印されてから実に11年ぶりの新作。
そして残念なことにシリーズ最終作である。
本書は、映画にもなり、クリントン米大統領が在任中、夏の休暇に別荘に持ってゆく一冊に選んだという第4作『愛しき者はすべて去り行く』(’98年、訳出された’01年
このミステリーがすごい!」海外編で第14位にランクイン)の後日談ストーリー
である。
設定はほぼ現実の時間経過どおり『愛しき者は・・・』から12年後。‘わたし’こと
パトリックは探偵を廃業し、結婚して妻と4才の娘の家庭を持っている。妻が将来の
ため学校に通っているので家計は苦しく、生活のため大手警備&調査会社の
正規雇用員に甘んじている。そんな‘わたし’のもとにかつて4才だったアマンダを
連れ戻して欲しいという依頼をした伯母が現れる。彼女は16才になったアマンダが
再び消えたので、また探して欲しいと言う。‘わたし’とアンジーの胸には当時の苦い
体験が甦る。
本書は、「貧民街に身を置き、軽口を叩きながらも心と体に傷を負いボロボロのふたりが降りかかる事件に対処し、さらに深手を負う」という、今までのシリーズのような深刻さはない。レヘイン自身も『愛しき者は・・・』の苦渋の結末とアマンダに対する負い目があり、いつかケリをつけたかったのだろう。怪しげで危ないロシア・ギャングや、詐欺を働くアマンダの実の母親やその恋人、一緒に姿を消したアマンダの親友、その親友のソーシャル・ワーカー、そして端役に至るまでの登場人物たちが、自分や家族の命が危険にさらされながらも、‘わたし’の機知に富んだ比喩と皮肉と共に、さながら
スラップティック・コメディーのごとくテンポ良くストーリーが展開していちおう落ち着く
べきところに落ち着く。
<探偵パトリック&アンジー>の今、そしてこれからを、なるほどこういうシリーズの
終わらせ方もあるのか、と思いながら楽しんで読んだ。